努める力

11月も終わった。もう俺の中では終わったのだ。
今日久し振りに早朝、電車に乗った。なんともいえない車内の緊張感。こえーよみんな。そんなつまんねー顔して電車乗るんじゃないよ。もう死ぬかと。殺されるかと。ため息をつくんじゃない。生まれてきてごめんなさい。こんなんいちいち文句言ってもしょうがないんだけどな。

ミスる時はミスる。しかしなぜ俺はミスしてはいけないもしくはミスなどありえないところでミスをやらかすのか?それがミスというものと言ったらそれまでなんだけど、こんなことグチグチ考えたところで何も変わらないので考えるのはやめた。
普段できると思っていたことができなかった。つまり簡単にいえばできると勝手に俺が思っていたってことなんだけど。現場に出て初めてわかることがある。どうしても1人で練習していたり仲間内での練習だとついつい甘えがちだ。主にスピード。ようは処理能力ってことなんだけど、同じ情報量でもどれだけ早く正確に覚えられるかがプロの現場に置いて重要なことなんだろう。個人練習もそのへんを意識しながら取り組まないといけない。これが積み重なっていくと恐らくキャリアってものになっていくんだろう。やはりできる人はそれなりに恥を掻いて成長をしてきたのだな。たぶん。俺はやらかしすぎかもしれんが。
こんなことはっきりいって現場に出てみて初めて気づくことで、そうそう事前に対処できるもんではない。
悪魔は突然降りてくる。前触れもなく突然、襲い掛かってくるのだ。

今回学んだことはよく落ち着いてみてみればものすごく簡単なことも緊張していては本当に何もできなくなるという事。すげー当たり前の事なんだけどいざ現実を目の前にすると本人は気づかないもんだ。
しかし一回これを経験してしまえばもうこっちの物。緊張さえしなければ楽勝である。その緊張が1番やっかいなんだけどね。

俺はどうやら必要以上に気を使ってしまう。ふと周りを見てみると結構みんな勝手に生きていて俺だけが1人あっちやらこっちやら注意散漫になっていき気がつけば俺1人が浮いてしまったなんてことをよくありそれはもう小さい頃からそんな感じで、今日、根深く残ってしまった。それがいい方向に向かう時もあれば自分の首を締めていってしまう時もある。今日なんかその典型で今日のような仕事は個人は簡単なことしか要求されていないにも関わらず意識があっちやらこっちやら無駄なとこに気がいってしまい肝心なとこや本来見るべき要確認すべきところ見落としてしまい、結局本番で失敗してはじめて気づく。しかし時すでに遅し、もうそこで挽回するチャンスは二度とない。結果的には俺自身の評価はそんな簡単なこともできない人で終わってしまう。例え他のところでいいプレイをしていたとしてもそこのミスが大きすぎて下手に目立ったために俺へのイメージは結局「あんな簡単なこともできない人」で止まってしまう。
恐らく自分自身の評価というものを必要以上に他人に求めてしまっているのだろう俺は。自信がない事にもこのことは直接直結する。なんせ自分自信の評価をまるで他人に丸投げなんだから。もちろん他人の評価というものも重要な事ではあるのだが、もう少し揺るぎない自分というもの持ちたいところ。
結局何が言いたいってもっと練習しろってことなんだけど。

まぁでもそれだけじゃせっかくここまで書いたことが台無しなのでもうちょい深く考えよう。
逆に考えれば自分自身への誇りが高いがために必要以上の評価を他人に求めてしまっているとも考えられる。俺はこうでなくてはいけない、褒められなけばいけない。なぜならこれだけがんばったんだもん、という何も生み出さない誇り。自分の努力を誇る。こういう人間は大抵、落ち込む時は深く落ち込むが調子がいいときは天狗になる。