出来ると思うな!

流行り廃りがあるように人間にも浮き沈みがある。
やけに暑いと思ったら毎年、俺の部屋は夏は暑い、冬は寒い。大通りが近いためこのマンションの窓は少し厚めに作ってある。そんなおせっかいのせいで完全密封を実現させたこの部屋は夏は暑い、冬は寒いのである。
一通り仕事が終わって、どうも最近調子が悪いことに嫌気がさす。いつもなら浮き沈みの一環として受け入れるのだが今回はちがう。
原因はわかったのでもう考えるのはよすことにするがその原因というものがなかなか面白い。

何事も修行事は毎日続けないと意味がない。
一夜漬けで成せる技などない。これは常識だ。なので一見、意味の無いことでも続けなければ身に付く事は絶対にないのである。その意味のない行為というのは一般に言われているスケール練習だったりメトローノームに合わせてバッキングパターンの繰り返しだったりどんなスケールでも12keyさらうことであったりと、はっきり言って退屈なものばかりである。
しかしこの退屈も何年も続くと習慣となりやがてやらないと夜も眠れないほどのものになる。そうなればこっちのものだがここに一つ大きな落とし穴ある。そして今回俺はこの穴に見事に落ちた。
それは新しい事に挑戦しなくなることだ。やるべきことをやってるつもりでも音楽は一人の人間が考えるほど浅いものではない。人生が何回あっても身に付けることは山ほどある。
その新しい事をまだ自分に足りないものを己の物にするにはやはり最初と同じにようにその新しい事に見合った単純で退屈な事を続けなければならない。なにより恐ろしいのは自分が「出来る」と思ってしまうことだ。全ての原因はこれだ。
カッテイングはいつでもできると思っていないか?トライトーンなんて楽勝と思っていないだろうか?過去にやったつもりでも結局のところ毎日練習していた頃にくらべると確実に下手になっているはずである。出来たつもりになっているが例えば音質は耳が覚えているので問題ないがリズムが突っ込むようになっていたりしないだろうか。しかもそれは本人が気づいていないことがほとんどである。そのような一見小さなほころびは自分のプレイ全体にわたりやがて蝕む。「出来る」と思っているうちは。かと言って「出来ない」といつまでも自信のないままでも困る。出来ないのであれば練習すればいい。単純なことだ。「出来る」思えるようになろうと一夜漬けの練習ではだめだ。出来る出来ないの境界を超えるには毎日やることが大切なのである。でないと出来る出来ないの繰り返しで結局肝心のプレイは対して進化もなく本人だけが満足で終わり。これでは一生何も事を成す事などできないし上へは上がれない。いつまでも「いいメンバーに巡り会わない」と十年後もぼやいているはずだ。
これが誰にでも訪れる「安心感」という落とし穴である。俺はちょっとでもスキみせるとすぐこれだ。

長くなったがまとめると「焦るな!」ということで今日はここまで。