純粋なブログ

きっと書く事がない状態で日記を書くと昨日のようなメルヘンなことを書いてしまうのだろう。

まったく考えないで適確に自分の頭の中を誇張も何もない状態で書けたらいいのにな。
これは音楽にも言えることだが、自分の思った通りに弾けたらどんなにいいことか。インスピレーションをそのまま表現することができたらどんなにすばらしいことか。即興は消えない。一度弾いたらもう後戻りはできない。ミスしようと次の瞬間は待ってくれない。都合のいいとこだけいうわけにはいかない。悪いこともいいことも全てでてしまう。ステージでは編集などできない。うまいことやろうなんて考えてしまった日にはうまくいくものいかなくなってしまう。思考すらする暇も与えてくれない。そのまま自分をそのまま表現するしかない。
ごまかす者はごまかした音楽にしかならない。ヒステリックなものはヒステリーな音楽に。音は正直である。自分をいかにコントロールするかが一番大事だと思う。

このキーボードも俺の考えたことがそのまま打つ事ができるぐらいタイピングができたら楽しいだろうな。
まだミスが多いし文章の作り方というかたまに接続語など細かいところで自分の言いたいことと違う意味になってしまったりそんなことしてるうちに思考は止まる。止まるというかそのままを表現できなくなる。
あと書いては消したりすると思考が飛ぶ。注意散漫なのかただ単に目的にもなく書いてるからそうなるんだろうけど。
思った事を書くことを書いている。はっきり言って今非常に気持ちいい。読み手のことなど全く考えていない。何も追われず何も囚われず書くことがこんなにも気持ちいいものなのか。
今誇張した。そんなに気持ちよくはない。書きたくなったがそこまで気持ちよくはない。

読み手がいるからにはしっかりと目的もって文章も分かりやすくしたいものだが、もうどうでもよい。純粋に書きたいことが書きたくなってきた。どうもはてなを見てると人の目を意識しすぎた日記が多い気がする。もちろん悪いことではないが最近みんな同じに見えてきた。
俺なんかがブログ始めてしまうぐらいブログは広まった。もうそろそろ次の何かが始まってもいいのではないか。もう始まってるのかもしれない。これは単なる勘だがもう底が見えてくる気がする。いや底が見えたからと言ってブログが終わるわけでもなくこれからも続いてゆくのだろうが、もう時代の底としてのブログは終わりそうな気がする。まだまだ先の話だろうが。
いやなんというかいい意味でも悪い意味でもなく、広く浅くなってきている気がしてしょうがないんだよ。
でもこれもいいのかもしれない。庶民の気持ちというかここまで庶民が情報を公に出せることなんて今までなかったし。ブログを記事というぐらいだからな。やっと一般人にマスコミすることが許された時代が来たのかもしれない。広く広まったという意味でも一人一人が自立したもの書かないといけないな。人に流され過ぎてもよくないし自分で何も囚われず思考することが大切なのだな。広く深くなる事がブログ全体としての健全な姿だろう。

とまぁ今日も最後はまとまらなくなってメルヘンなことを書いて無理矢理投稿してしまうのであった。