ドナリ−

年末らしく飲み会でも行こうかと思いきやここ数年友人との約束も断り続けたためついに今年は誰からも誘われなくなった。そして今年も静かに年はこえてゆく。
苦手を克服することが楽しくなってきた。以前は強い者はなるべく避けようとしてきたが、今は断然実力がある奴と演奏し打ちのめされることが恐くなくなった。むしろ楽しい。快感。
悔しさも得られる。弱点も見事に露呈させられた。たまたま意地悪なやつだったのでこの二つはとてもよい具合に得られた。ここでいい人だったりするとはっきりと得られなかったりよい具合に自尊心を傷つけない方法を取ってくるので悔しさやあからさまないじめがなかったりして明日へ進むバネとしてあまり機能しない。まぁいい人のほうが友達にはなれるが。
非音楽的な人間もたまには役に立つものだ。メカニカルな部分に関してはやはりやり込んでるだけすごい。えらい。よくがんばりました。しかしそこには感動は何もない。ドナリ−をバラードでやってみると実はそこには深い意味がたくさん隠されていたりする。ただ早ければいいってもんじゃない。クロマチックに弾ければ偉いってもんでもない。もちろんドナリ−はなるべく早いテンポでやるべきだ。きっと曲が喜ぶのであろう。しかしそこに騙され多くはあの曲を自分の技術はひけらかすようにプレイしてしまいがちだ。まさにだからどうした(so what)である。あんな美しい曲を情緒も糞もなくプレイするなんてもったいなさすぎる。そう心に誓った今日でした。