匿名で書く日記

mixiや実名などで知人友人に知られた上で書くのと、ここみたいに匿名で一人孤独に誰に読まれるかも分からない状況下で書くのとではまるで内容がちがう。よく考えれば当然だが。
いつも俺が日記を書く時は何も考えていない。特に誰に向けてとかトラックバックを煽るようなエントリーを書きたいわけじゃなくホントにチラシの裏でもいいような内容を淡々と書くのがなによりの快感なのでその場合何か考えたりテーマを決めたりすると途端に何も書く気がしなくなる。もっとひどい言い方をすればキーボードをただ叩いているだけでも十分気持ちいいのでぶっちゃけ内容なんてどうでもいい。人に言えない悩みだって平気で書ける。
そこで書いてみて自分でも普段気づかないような事に巡り会ったり意外な反省をしていたりこれがなかなか後で読み返すと面白い。
匿名でなければ絶対書けないようなものがほとんどであるが。しかし匿名でなければ会えなかった自分でもある。そういう所は日記の素晴らしいところだ。
それだけの理由ならノートに書けばいい話だが本音を言うと人に見られたい、できれば突っ込まれたい、ツッコミ所がないぐらいつまらん日記かもしれんが反応があってほしいみたいなとこがある。仲間が欲しいわけじゃなく見られているもしくは誰かが見る可能性があるという状況で敢えて自分の一部分を晒すことは今までにない感覚である。
アメリカ人のように普段からオレオレオーラ丸出しであれば匿名でこんな事はやらんのだろうが。まぁよっぽど普段自分の感情を出していない証拠だろうな。自分と向き合う術としてはかなり機能的に働いているがいずれ卒業しなくてはいけないだろうな。俺のようなやり方では。

出来ると思うな!

流行り廃りがあるように人間にも浮き沈みがある。
やけに暑いと思ったら毎年、俺の部屋は夏は暑い、冬は寒い。大通りが近いためこのマンションの窓は少し厚めに作ってある。そんなおせっかいのせいで完全密封を実現させたこの部屋は夏は暑い、冬は寒いのである。
一通り仕事が終わって、どうも最近調子が悪いことに嫌気がさす。いつもなら浮き沈みの一環として受け入れるのだが今回はちがう。
原因はわかったのでもう考えるのはよすことにするがその原因というものがなかなか面白い。

何事も修行事は毎日続けないと意味がない。
一夜漬けで成せる技などない。これは常識だ。なので一見、意味の無いことでも続けなければ身に付く事は絶対にないのである。その意味のない行為というのは一般に言われているスケール練習だったりメトローノームに合わせてバッキングパターンの繰り返しだったりどんなスケールでも12keyさらうことであったりと、はっきり言って退屈なものばかりである。
しかしこの退屈も何年も続くと習慣となりやがてやらないと夜も眠れないほどのものになる。そうなればこっちのものだがここに一つ大きな落とし穴ある。そして今回俺はこの穴に見事に落ちた。
それは新しい事に挑戦しなくなることだ。やるべきことをやってるつもりでも音楽は一人の人間が考えるほど浅いものではない。人生が何回あっても身に付けることは山ほどある。
その新しい事をまだ自分に足りないものを己の物にするにはやはり最初と同じにようにその新しい事に見合った単純で退屈な事を続けなければならない。なにより恐ろしいのは自分が「出来る」と思ってしまうことだ。全ての原因はこれだ。
カッテイングはいつでもできると思っていないか?トライトーンなんて楽勝と思っていないだろうか?過去にやったつもりでも結局のところ毎日練習していた頃にくらべると確実に下手になっているはずである。出来たつもりになっているが例えば音質は耳が覚えているので問題ないがリズムが突っ込むようになっていたりしないだろうか。しかもそれは本人が気づいていないことがほとんどである。そのような一見小さなほころびは自分のプレイ全体にわたりやがて蝕む。「出来る」と思っているうちは。かと言って「出来ない」といつまでも自信のないままでも困る。出来ないのであれば練習すればいい。単純なことだ。「出来る」思えるようになろうと一夜漬けの練習ではだめだ。出来る出来ないの境界を超えるには毎日やることが大切なのである。でないと出来る出来ないの繰り返しで結局肝心のプレイは対して進化もなく本人だけが満足で終わり。これでは一生何も事を成す事などできないし上へは上がれない。いつまでも「いいメンバーに巡り会わない」と十年後もぼやいているはずだ。
これが誰にでも訪れる「安心感」という落とし穴である。俺はちょっとでもスキみせるとすぐこれだ。

長くなったがまとめると「焦るな!」ということで今日はここまで。

バークレー奨学金2

ソルフェージュの試験がおうむ返しではなく聞き取った音を譜面に起す事だとは知らなかった。しかも楽器を使わず耳だけで。一応最初にキーを鳴らしてくれるらしいが。
大体5問ぐらい出るらしく、1、2問は簡単な問題だが最後のほうは絶対音感でもない限り分からない物を出してくるらしい(キーも鳴らしてくれない。ひどい)はっきり言って相対音感の俺に全問正解などはありえないので確実にとれるものをとっていかないと5問しかないので一つでも落とす大きい。
今日からソルフェージュ対策として、まず

自分の弾いたフレーズを譜面に起す

知ってる曲(歌謡曲でもcmで覚えてる曲でもなんでもいい)を楽器を使わずに譜面に起す

こんなもんかのう。とりあえず不安なのはソルフェージュだけなので。後はいつも通り仕事をこなしていれば大丈夫だろう。ベストを尽くせ。

追記
結局今回は上記の内容ではなく普通に審査員が弾いたを音を楽器で返す試験であった。

バークリー奨学金

ノリでバークリー音楽院奨学金試験に応募してしまう俺はどうかと思う。
が、こんなもん本気で受けようとしたら小心者の俺は「今年はまだ力不足だし来年にしよう」などと言い訳をこじつけ結局応募しないだろう。
まぁ受かろうが受かるまいが目標ができたので良しとしよう。

最高金額は1000万。
正直これには目が眩んだ。もし取れたら記念に高級ソープでも行ってやろう。別にそれぐらいで罰は当たらんだろうよ。どうせ奨学金を返すのは俺なわけだし。

試験内容は
1.自由曲…とりあえず自己紹介。
2.ソルフェージュ…マイルスがよくケニーギャレットに仕掛けるアレ。簡単にいえ
ばおうむ返し。リスニング。
3.初見…っても15分間読む時間をくれる。初見じゃねーじゃん。まぁあれだきっとバークリーの事だし目眩がするような譜面をやらすんだろうねきっと。
4.ブルース…多分セッション。インプロ。好きにせいってことか。

このためだけにわざわざ名古屋まで行くのは非常にダルいが妙な臨時収入?があったのを思いだし「行け」と言われてるような気がしたので行く事にした。ちょっとした観光気分というかたまには旅行でもしてみるかみたいなノリだ。なんならもうちょっと金を貯めて「名古屋流」の風俗でも行ってみようかみたいな。
こんな野郎に奨学金が出るとは思えなくなってきた。もう少し嘘でもいいから真剣に緊張感を持てないものかと考えたがもう8月には試験なので今更緊張する必要もないだろ。ソルフェージュと初見のとこぐらいだろ。今から意識してやることと言えば。別に仕事でもないし失敗しようが恥かこうが失うものは何一つない。得る事しかない。人の出会いもあるだろう。そこで自分のパートナーでも見つかった日には受からなかったとしても人生にとってとても貴重な日になるだろう。何より目標があったほうが練習にも身が入る。いいことだらけではないか。緊張するだけ損。
最近東京から出て無いのでたまには遠出したいし。
ところで名古屋ってなにがあるんだろ?
あまり観光で名古屋に行くなんて聞いた事がない。小さい頃一度だけ行った記憶があるのだが町の印象は東京とあまり変わらない。関東と関西の境目か、ぐらいにしか思わなかった。きしめんがうまかったのはよく覚えている。あとは…
もしかしたら風俗ぐらいしか楽しみがないかもしれぬ。まぁそんなに長居するわけじゃないしあとは名古屋嬢でも視姦できれば俺は満足よ。
とりあえず8月まで生きる理由ができたので良しとする。

所詮俺もおまえも通りすがり

自分の好きなサイトが閉鎖してしまうと寂しい。ネット歴の長い人達にとっては慣れたことなのかもしれないが、ある日突然、予告もなしに消えてしまうことなんてよくありすぎることなのかもしれないが…。
心に穴が開くと言うと大袈裟なのだろうが恐らくこのネットの世界、一度見失ってしまった者にもう一度巡り会うことなど不可能にちかい。例えその本人がまだネットの世界にいたとしても名前を変えていては検索のしようがない。匿名ならなおさらだ。
んなもん承知だしそれだからこそ俺みたいなヘタレでもここでぐだぐだと好きな事を書けるわけだが。
ボタン一つで消えることのできるこの世界で虚無感に浸っていてもキリがない。所詮俺もおまえも通りすがり。
それにしてもやっぱり寂しいな。どうせ一ヶ月もすれば忘れてしまうのだろう。こんなことはネットだけでなく現実に関わってる人達でもありうることだし今ままでもそうしてきた。昔、仲の良かった同級生でさえまた会えるかどうかもわからないわけだ。んなガキみたいな事をいつまでも言ってもしょうがない。人間生まれる時も死ぬ時も一人なのだから。いかんな。思考がループしはじめた。
このクソ多すぎる人口の中で自分の周りにいる人達の出会いは偶然なのか必然なのか。そんな事はそいつが決めればいいことだ。できれば楽しくやっていきたいね。たまにはメールでも返してやるか。

今、俺から音楽を取ったら何も残らないと書いた瞬間、俺の小指が誤作動を起こし全ての文が消えてしまった。今考えてみたら内容は自虐的でしかも他人からしてみればどうでもいい俺の不安や妄想だらけのものだったので正直消えて良かったと思ってる。後悔したら負けだぜ。
こうやって文を書くこと小学生の卒業文集以来なので何を今更な話だが、文を書く事はなかなか面白い。
だが同時に危険な臭いも感じる。素直になればなるほど自分の中の思ってもいなかったことや気づかなかった事や考えが出てくる。自分の浅はかさ、学の無さにも気づかされる。
だがたまに妄想が妄想を呼んでしまう事もある。正直言葉は自由すぎる。嘘だって本当になる。歯止めを解いてしまったら俺はなんだって書けてしまう。だが現実とつじつまが合わなくなったら危ない。どう危ないのか分からんが。楽しいのかもしれない。ただ俺があっちの世界に行ったところでただの電波君になってしまうだけなので観賞用としては面白みに欠ける。
音と同じように言葉も時間軸を切り裂いているのだな。横に矛盾が生じると現実と噛み合わなくなる。さっきついた嘘と今言う嘘が噛み合わなくなった時嘘は嘘になる。いわゆる矛盾。しかし嘘と嘘が噛み合っていれば嘘は本当になり横に繋がる。切り裂いた時は流れる。二つの現実が生じてしまうと人は狂う。だから俺はもう狂ってしまってるのかもしれない。と狂人ぶってみよう。なんだかどうでもよくなるよ。なんの救いにもなっていないが。狂ったふりしてたらホントに狂っちゃった、なんて話はよくある。時間軸が完全にぶれてしまうともう止めようがない。終わらない。俺の軸は音楽を演奏することしかないんだろう。音楽を取ったら何も残らない。
と書いたところで俺は文章を書くことがホントに向いていないんだなと思った。楽しいけど。俺だけは。

今頃になってYouTubeを楽しんでる。
と思うのだが何分英語が分からないというのは色々と不自由だしきっと外人が楽しんでる分の3割ぐらいしかこの世界を楽しめてない気がする。
これとか(ジェームスブラウンがキメキメでテレビのインタビューを受けてる)言葉を理解していればもっとおもしろおかしいんだろうな。聞き取れなくても十分楽しめるというかブッ飛んでる(本人が)映像なので楽しめるちゃぁ楽しめるが。なんとも幸せな光景である。こんな下品で素敵な大人になりたい。